詩的好奇心

 どんな時にも言葉を失わないこと。それって本当に凄いことだと思う。言葉を発するにはエネルギーと想像力が必要とされる。どんなにくだらないことであれ、それはその時の状況、人との関係を瞬時に割り出した上で発せられるものだ。

 その場にどんな言葉が必要なのか。そんなことは考えなくても良いのかもしれない。しかし形のないものである以上、言葉を発したという事実は取り返すことが出来ないわけで、それに対する責任だけは感じていたい。

 言葉が必要とされる時、それはその人が詩人になりたい時だ。状況によって、人は詩人になることを要求される。圧倒的なものを前にした時、踏み越えたい一線が引かれている時、そんな状況を前にして、人は詩人となることを選択する。詩人の奏でる言葉を前に、受け止める側も詩人としての心構えを用意する。そう、手紙が唯一の手段だった貴族たちのように。

 どんな状況も逃さないために、常に詩人であること。そんな詩人同士のやり取りを行なうために、詩的な日々を想像する。詩的な日々にはおそらく自然な、そして様々な音が発せられているに違いない。