スクエアスペース

錯覚を上手く利用すれば、物事って意外と単純なものだったりする。いや、単純な物事を、自身が勝手に複雑にし、錯覚を頼りにしなければ、とてもじゃないがやり切れないという状況にまで陥れてしまったとでもいうか。

 日々の流れが川だとして、自身はその川に沿った森だとする。この過程を設定する時点で、錯覚の利用が必要とされる。「森=複雑」という方程式を解くことに必死になり、川の流れを意識することを、川が流れていることを忘れてしまう。

 森から抜け出す必要はない。ただ、森が在ることを受け入れればそれで良い。木々が植えられている土を掘り返してみる。木の根に注がれる水分は川と繋がっており、見上げた空には隙間を縫って、光が針のように差し込んでいる。空はやっぱり、死と近いことを認識する瞬間。

 そして自身が一番恐れていることは、森が枯れ、見通しが良くなってしまう状態。森は木が一本生えていたところで成立しない。

 全ては感覚的なこと。人生って、こんな感覚の世界で成り立っていることを、最近改めて実感する日々。

 今日もまた、森と自身、川と空の間に四角形を描く。