信念が映し出す眼の色

信念を貫いている人の眼はとてもキレイだと思う。迷いがないと言ったら嘘になるだろう。いや、むしろ、「貫きたい」という想いと、ソコに生じる迷いが絡まりあって、その眼にキレイだと思わせる魔力が生まれるのかもしれない。

 信念は、貫かれるために生まれた感情なのだろうか。

 この信念というものは、その人に善悪の基準を作り出す。選択と決定力を持たせる。区別と差別のボーダーラインを引き始める。何かが自身を突き動かす。

 上のように並べ立てるとマイナスな要素のように聴こえるかもしれないが、良いとか悪いとかではなく、これは一つの事実なのだと思うだけ。

 僕は思う。どんな信念でも、その人の眼がキレイに映るのならば、それで良い。

 真昼の日差しと向かい合う。光が眼を文字通り刺す。僕の顔は醜く歪み、若干の凶暴性を帯びた視線を地面に落とす。眼の奥に、ごろつく痛みとやるせなさを覚える。

 きっと、信念が生み出す、キレイな眼をした人を前に、僕はこれと同じような表情、仕草をしているのだろう。それを思うと、僕の弱い信念は、自由というよりは虚無に近く、太陽の光のような魔力がない。

 さて、僕はこれから、ドコに進んで行くべきだろうか。