純粋思考

 関係性の深い部分に触れようとすればその分だけ、宇宙よりも果てしの無い、流れ星よりも不意に訪れるリスク、予想だにしない感情が配合される。頃合いの良い調合は難しく、七夕は、成功した調合例の一つなのかもしれない。

 人は、知らなければならない。調合のリスクを。

 どれだけ強い意志、非の打ち所のない理想を描いたとしても、それを一瞬の内に打ち砕く隕石が存在する。理想郷の中でしか生活をしない者は、そのリスクに対する術を持たない。いや、持とうとしない。

 それはきっと、リスクが純粋というカテゴリーに属さないと思っているから。

 そう、理想郷の中で引きこもっている限り、リスクは純粋から身を潜めてしまう。やがて、リスクは存在しなかったかのように、自身への暗示が始まる。

 リスクは不純なのか。

 僕は思う。リスクは、純粋さの中でしか生まれてこないと。

 純度の高い地図は、ソコにリスクの可能性を示唆する。正確な地図を思い描こうとすればするほど、その中に潜むリスクも鮮明に浮かび上がってくる。

 もしも美しい地図を描こうと思うのなら、リスクも含めた配色の調合が必要だ。そのために、一つの感情を連れそうことが大切だ。

 そう、覚悟という感情。

 覚悟に眠る責任を受け入れることによって、地図は美しさを手にし始める。半端な覚悟は恨みを生むだけ。

 衝動の純粋さに賭ける生き方も良い。ただ、純粋さとリスクは同じ母体を持っていることに気づかなければ、全てを失うことになる。