根の果てに在るもの

喜びの果てには喜びがあり、悲しみの果てには悲しみがあった。夢の先には更なる夢が、儚さの先には儚さが在る。社会の大半はこのように動いている。根本の先には根本が不随され、利きの悪いリセットを押す。

 根は思っている以上に深く、そして絡まる。

 この根の呪縛から逃れるためには、自身という存在を意識するのが良い。大抵の根本は、自身の中から発生しているものだから。

 人は皆、発明家である方が幸せだと思う。ちょっとした発明に胸を躍らせることが出来るのならば、新たな苗が芽生えてくる。新たな芽のいくつかは、社会の概念とズレタところに咲くだろう。その花はきっかけを持っている。

 根本があまりにも複雑で、決して逃れることが出来ないと感じたときは、新たな苗を見つけるのが良いかもしれない。複雑な根を掻き分けるのではなく、新たな根に掴まってみる。逃れることが出来ないのならば、ドコまでも付いてこさせれば良い。

 そのようにしていくと、幾つかの根が張られていくことになる。その中で、最も強制力のある根が生き残る。自身の心は、そんな強制力を嗅ぎ分ける能力に長けているはず。最も強制力があり、最も優しい根へ向けて。

 根の深さに気を取られてばかりいないで、根の広がりにも注目するべきだ。周りには、新たな芽がその出番を待ち望んでいる。

 地球が丸いことに改めて注目したくなるような一日。