関係性から外れて 見る

 いつもよりゆっくりと自転車を走らせる。後からきた人に追い越され、歩いている人と変わらないくらいのスピード。時間、世間との距離を意図的にずらす。そんな遊び心に身を任す。

 辺りを見渡す。全ては何かを主張している。

 森と空の関係。時間と距離の関係。自分と目的の関係。全てが同じ場所で行なわれている。だからと言って、全てが繋がっているワケではない。

 その理由は何となく分かる。繋がりは場所や距離、地位や立場や世間よりも、内面を求めるものだから。

 内面と距離が一致している時は全ての流れが急速に速まり、また、二つの間に差が生じていると、時間は不必要に重くなる。

 時間の感覚が何にも属さない場合もある。それは、「無」という言葉が限りなく似合う時であろう。全てがダイナミックな映像となり、自分は異空間に来てしまったかのような錯覚に陥る。

 「無」を感じる瞬間に、純粋な幸せを感じたりもする。時間にも距離にも、場所にも内面にも捕らわれない瞬間。その瞬間、幸せとは、他者との共有だけではないことを気づかせてくれる。

 幸せに様々な形があること。それは新たな抜け道を見つけた時の喜びに近い。

 時には何かをずらしてみる。時間、距離、思考、概念。幸福感への抜け道は、そんなズレの間に生じる一瞬に潜んでいるのかもしれない。