風景画への道程
果たして、自分は何に導かれながらここまで来たのだろうか。道草のドコまでが無駄足で、ドコからが化学変化なのだろうか。これまでの一歩にどれだけの感情を込めてきたのだろうか。
自身の内にある感情は、風景画の一部になっていれば良いと思う。嬉しさは柔らかく、悲しさは美しく、楽しさはヌイグルミとなり、諦めかけてた気持ちは道となる。
水彩画でも油絵でもない画法。薄いけど鮮明ではなく、湿度の濃さは透明に近い。儚さとも孤独とも違う、明るさとも連帯とも違う場所。
そんな一枚の風景画。
この進行形の作品に対し、今、どれだけ向き合っているのだろう。
何度も何度も描き直す。分かっているはずの完成形。その完成形に辿り着くまでの道程は、力がないと進めない。
ならば、常に完成形を思い浮かべているとしよう。想いが行方不明にならないように。
今日もまた、未完のキャンバスに、未知であり確信的な完成形を重ね合わせる。