円と位置

 全てが正しいと輪が欠ける。輪が欠けないと正しいことが消える。調和ってその循環によって成り立っていると思う。輪を乱すことの出来ない人は、実は完全に正しいこととはならない。何故なら、完璧な正しさは輪を固定したものとしか受け取れないから。

 もしも真面目という思想があるのなら、それは破壊力を備えている人の感情を指すのだろう。真面目だから壊す。真面目だから忍ぶ。そして、自滅する。

 そんな破壊的な感情を持った、真面目な思想の元に動く人が好きだ。そんな人はきっとピエロに想いを寄せ、猫の行動に理解を示す。他者から囁かれる過ちはその人の美学から生まれ、美学は絶対的な自信に満ち溢れている。

 不真面目な人は忍ぶことが出来ない。自身への誠実さに欠けている。他者の共感を求める。自然と口数が多くなり、否定を母体とした短編を創作する。

 本当の共感とは受動的なもので、そして不意に訪れる。共感は求めるものではなく、種を蒔いてじっと待つ行為だと思う。収穫の時期は自身で選ぶものではない。

 種に誠実な美学を詰める。本当に正しい美学はやがて押し花となり、いつまでも自身、そして他者の心に咲き続ける。

 自身が蒔いた種の収穫時もそうだが、他者が蒔いた種の収穫時にどれだけの賞賛を称えることが出来るのか。

 そんな輪に微笑むことの出来る人になりたいと思う。