正しいこと

 正しさにも幾つか種類がある。自身にとっての正しさ、グループにとっての正しさ。社会にとっての正しさ。日々の生活は、様々な正しさが密接に寄り添いながら形成されている。

 正しさには順位があり、その順位は常に変動する。とても過激なカーレース。そんなレースでポールポジションを確保できた正しさだけが、その時のアクションを起こす権利を与えられる。

 今、この瞬間。自身にとって最も正しいことを求める。

 勿論、自身の正しさが他者の正しさと常に同じとはならない。正しさは常に、悪という名の影を連れて歩いている。逆に言えば、悪は常に、正義という名の影を連れ歩く。正義と悪の境界線なんて皆無に近い。

 日々、どれだけの正義を選択して生きているか。そこに生命の起伏が生まれてくるのだと思う。他者には悪かもしれない正義の存在。そんな正義が愛しく思えたりもする。

 胸を張って正義を実行できる人など早々いない。少なくとも悪ではないだろうと言うような、基盤の弱い確信の元に行動を起こしているだけ。そこには起伏が生まれない。

 心にダイナミズムを持っている人は反省をする。反省は新たな正義を生み出す。正義は流動し、新たな起伏を生み出す。そんな正義に身を任せたい。その先には幸せがある気がするから。

 改めて自身に問う。今、正義を実行しているか。