プログラムの枝分かれ

 自転車に乗り、住み始めてから一年と4ヶ月が経つ街を走る。ゆったりとしたスピードで。何処かへ出かける時に急ぐ理由が見当たらない。そんな時間は本当に贅沢で、天候、街並み、人との距離。全てが愛しく感じられる。

 行き着けの喫茶店でコーヒーを注文し、いつも座る席で読書に耽る。第二の我が家に帰った気分。

 本を読むことに疲れて眠る。起きて再び読書に耽る。そんな能動的プログラミングに身を任せる。

 読書を止め、ボンヤリと思考の旅へ出る。タバコの煙がゆったりと、頭の上に梯子をかける。そんな思考の旅は気分一つで、至福にも憂鬱にもなる。「世の中には中間ってものがあるんだなぁ」と感じる。

 中間という感覚。中間って酷く曖昧なものとしか思っていなかったけど、実は能動的作業の上に出来上がった空間なのかもしれない。「普通」というニュアンスとは違った、中間という存在。

 普通と中間の違い。それは選択を迫られるかどうかの違いだ。

 この、中間という存在に注目をしてみたい。中間を作り出す、そしてその先にある選択に。

 思考の旅が終わる。喫茶店を後にする。強制されない時間。現実の流れを横目に、一秒の概念が変わっていく。