涙の源流

どんなにノホホンと生きているようでも、見えない壁にぶつかることがある。壁を目の前にした時、何かしらの行動が始まる。飛び越える、壊す、逃げる、別の道を探すなど。

個人の中から現れた壁は、比較的交渉がし易い。決定権が自身にある場合が多いから。だが、その壁に第三者が関与しているとなると、事情は少し複雑だ。違う道を探すにはあまりにも遠かったり、壊すにはあまりにも純粋すぎたり、逃げてもいつかは向かわなければならなかったりもする。

そんな壁を見上げてふと思う。「この壁は、必ず崩壊する。時間と共に風化していき、中間の部分から崩れ去る。そして、その壁が壊れた時、きっと涙が存在する」と。

その涙が嬉しさなのか、悲しさなのか。いや、全く違う種類のものかもしれない。ただ、涙は水とは違う。涙の塩分は感情が結晶化したもの。純度が高いと思えるのは、涙と感情のバランスがとても数学的だから。

壁は存在しなければならない。白と黒が調和した感情。その質感は冷たく感じられるかもしれない。閉鎖的な印象を与えてしまうかもしれない。しかし、壁の奥に潜む温かさを意識してみる。それは壁との対話であり、新たな方法に気づく鍵にもなる。

壁は語る。

「決して縮めてはならない距離がある」

それに対する答えは見つからない。涙はその出番をじっと待つ。