雨から始まるつれづれな旅

「大げさな雨は嫌いだ」家のベランダを開け、夕方の薄気味悪い空を見ながら思う。見るもの、聴こえてくるもの、全てが誤魔化された気持ちになるから。大人が子供に使う手口と似ている。

雨を見続ける。その日の予定を立てるとき、自分は晴れを前提としていることに気づく。常に晴れとは限らないのに、頭の中には雨が無い。本当にオメデタイ俺の心。

何かを想定する時に、もう一方の可能性を見ないことの無頓着さ。「都会という戦場の中で、よくもまぁ、生きてられるもんだなぁ」とのん気な反省。きっと、生まれた時から都会という戦場に居たために、場所への鋭さが鈍っているに違いない。

雨を見続ける。口を大きく開けて、雨を身体に取り込みたい。それが出来ないのは地球を汚してしまっているから。

生きるということは、雨すらも汚すこと。

透明なものを汚し、キレイな服を身に纏う。体内洗浄がブームになったりもする。

奥さんと良い関係を保つために、身体だけの関係を持つ女性を求めている男もいる。子供に恥を欠かせないという名目で、お弁当にタコさんウインナーを作る。

様々な身勝手が、ささやかな平和を作ろうとする。そんな世界が愛しい。

沢山飲んでゲロ吐いて、何事も無かったかのように次の日を迎えるような世界。

雨を見ながら、「危機感の足りない自分が生きてられるのは、身勝手な平和のおかげだろう」と、身勝手な想像をしていた一日。