安心感の元で自由に表現する

一人暮らしを始めた時に切に思ったことなのですが、「新たな生活をスタートさせるには、先ずは生活を組み立てなければならないな」と思いました。まぁ、ゆとりを作れるようにして、そこから自身でやりたいことを始めると言いますか。そのように、「何か心にゆとりがあってこそ、始めることが出来る」という場面がしばしばあります。

先日、友人のお誘いでフットサルの大会に出場しました。ど素人な自分。。そんな自分に友人はフォワードをやらせてくれます。点を取ってこいと。そんなポジションが(どのポジションもですが…)自分に勤まるのだろうか。

試合開始。点数を取ることは勿論でしたが、それよりも先ず、フィールド内全体を見れるように心掛けることにしました。全体を見ることによって、自分は今、どの場所に動き、ドコにボールを出せば良いのか。そう頭で考えながらも、身体はまるで敵チームかのように動きません。戸惑いを隠せない自分。そんな時……、

友人が後ろでしっかりと守ってくれているのが確認出来ました。自分が相手にボールを取られる、シュートを外して相手ボールになっても友人が取ってくれる、そんな確信のもとで、「あぁ、今は自由に表現をすれば良いんだな」という気持ちが芽生えてきました。そうすると、先ほどまで敵のようだった身体も少しずつ自分への寝返りを始めます。

思い切りシュートを打てたのも、点を取ることが出来たのも、友人が安心感を与えてくれたおかげ。本当に、楽しい大会となりました。こんな機会を作ってくれた友達に感謝です。

家に帰る。自分は今、誰かに安心感を与えることの出来る存在となっているのだろうか。私生活において、自分に与えられたポジションとは一体何だろう??そんなことを考えるきっかけをくれた大会でした。