カルテを作る

最近思うこと。「欲しい情報に対する自分の時間が足りない」というもの。もう少し分かりやすく言うと、まとまった時間が絶対的に少ないということ。生活を送るため、人は働かなければならない。それは苦しさすら忘れてしまうような、自然の営みの一つ。時間の有り難味はそこから発生してくるものだから、この自然の営みに苦痛を覚えないのも当然かもしれない。そもそも、働くことに苦痛を覚えたら、それは打開策を考えなければならないのだから。

話を戻す。何故、時間が少なくなってしまうのか。それは「自分の時間管理の甘さ、心の弱さ」からきているとしか言いようがない。時間のカルテを作ることは難しい。病院で作るカルテと違い、時間のカルテには感情が入ってくる。カルテに何を優先すべきかを記入しても、不意打ちの睡魔に襲われてしまう時の様な。時間のカルテは自身が作成する。自身の管理は言い訳をしやすい。軽いものにはそれだけの見返りしか返ってこないのかもしれない。

しかし、年を重ねればその分だけ、まとまった時間が少なくなってくるのは有り難いことだと思わなければならない。まだまだ時間管理を出来るとまでは言えないが、それでも小学生の時と比べると、その作業が上達したと思っている。そう、時間には期限があると知ったから。それを実感できるのは、やりたいこととやるべきことが平行線を辿る時。両者がシンメトリーであること、それがカルテを美しくする。

時間との付き合いの質を高めるために、あえて忙殺的なスケジュールを組むのも良い。そんなスケジュールの中にこそ、新たな自身の哲学が生まれるものだ。

こんなことに思いを巡らせることが出来るのは、今の自分は背負わなければならない責任が少ないということの証明だろう。時間に対し、常に忙殺的な人々もいるのだから。ゆとりを時間という枠の中で考えられる環境。今、この時間に、自分の意志が組み込まれているかどうか。長距離ランナーへの第一歩。