不良な文化

爽やかな文化があるというのは、それだけ不良な文化も発達しているということ。今日は、そんな不良の文化を目の当たりにしました。それは、社交ダンス。タンゴに合わせてクルクルと踊るダンサー。そこで求められるものは優美さと不良の匂い。髪を撫でつけ、非日常的なメイクを施す。

その空間には刹那の感情がぶつかり合っていました。限られた時間。非日常から日常へと向かっているリズム。光と影。そう、優美さは影の存在に左右される部分が多い。社交ダンスは正に、操り人形の踊りのようでもありました。

男性は目立つ格好をしてはならない。女性は優雅さを失ってはならない。どちらにも課せられた使命がある。そんなダンスを観ていると、日常の生活と重なり合うところが出てきます。優雅な部分は影に操られ、陰は優雅なものがなければ活かされない。どちらも互いを必要としている。それを隠すために、両者共に仮面を貼り付ける。笑顔と無表情という名の仮面。

きっと不良の匂いを嗅ぎ取ったところがそこだろう。仮面に隠された優美さと影。二つの仮面を常に持ち歩いて生きている。それはとても大切なもの。もしもその二つの仮面を無くしてしまったら、そこにいるのは誰も、本人さえも証明することの出来ない何かなのだと思う。

世の中で不自然なのは、素顔という仮面を外した生き物なのかもしれない。