刺激的な心

刺激には二種類存在する。受ける刺激と与える刺激。両者は円のようにグルグルと回っていて、そこにはきっと終わりがない。ただ、その起動に乗るまでのプロセスが重要だったりもする。

刺激を受けるにも与えるにも、自分は常にアンテナを張っていなければならない。そう、刺激という起動をキャッチするために。それはいつ、どのような場所でキャッチできるものなのか。それはアンテナの感度による。感度が高ければ必然的に、起動をキャッチすることが容易くなってくるであろうし、その場所はいとわない。感度が低いと起動のありかさえ掴めないままでいる。

刺激を受けることは本当に良いことなのだろうか。勿論、良い悪いの二面を兼ね備えていることだろう。人が生み出す刺激には、悪い作用も働く場合があるのだから。良い子が不良に刺激を受け、能動的に悪い方向へと向かうことだってありうるのだから。あまり考えも持たずに悲劇のヒロインを気取りたい女の子だっているのだから。

刺激的な心を受け入れるために、アンテナの感度を高めることと同じ位、選択能力も問われてくる。一時の刺激はただの酔いでしかなく、そんな刺激から覚めた後には空虚感しか残らない。刺激の本質を見極めたい。そんなことを思った一日。