公園

春になり、日差しが柔らかくなってきた。それと同時に冬眠から覚めた動物が活動し始め、人も自然と公園に集まってくる。そんな晴れの日。

公園に行って見ると、おば様集団がピクニックともお花見ともつかない群れをなしている。若いお父さんが子供とサッカーを楽しんでいる。犬の散歩を楽しむ女の子。まるでサーカスでも見ているかのような錯覚に陥る。そして、一つの疑問が頭を掠めた。「何故、こんなにも寂し気なのだろう」という疑問。人に溢れ、緑も大分豊かになってきたというのに。

ベンチに座って四方を眺める。夕暮れを予感させる空。使われていない遊具。ベンチに紐を結ばれたシェパード。この空間に足りないものは何だろう。そんなことに想像力をめぐらせていると、一つの答えが浮かんできた。

その答え。「この空間には多くのものが詰め込まれているが、各々が独自に存在している」というもの。そう、ここには連帯感がない。だから空虚な気配を拭うことが出来ないのだと。それぞれが思うように楽しむところではあるが、連帯感を感じる公園の方がやはり楽しい。その連帯感の薄さは子供や老人が集まってサッカーやゲートボールを楽しんでいないところにも原因があるのだろうか。公園は死なせたくないと思った、そんな一日。6時を過ぎても辺りは明るい。微かな夏の予感。