コミュニケーション

その人の今までの経緯を知ることにより、更に細かなコミュニケーションが要求されることがあります。その人の苛立ちがドコから発生しているものなのか。その人にとっての喜び、自分へ求めている意見。そんな細やかなコミュニケーションを要求されるようになったことは、その人との関係性が着実に掘り下げられていっていることでもあり、嬉しくも少し複雑な気になってきます。

何故、複雑な気になってくるか。それは、その人から発せられるサインが増え、そして時間を選ばずサインが送られてくるからであります。例えその人がサインを求めていないように装っていても、送られた当人は感じ取ってしまうもの。逆に言えば、自分も他者に、そのようなサインを無自覚に送りつけているに違いありません。コミュニケーションとは案外、このような無自覚の中で行なわれているものなのかもしれない。コミュニケーションという名のもとでは皆、赤子対赤子の対面をしているに違いありません。

コミュニケーションにおいて大切なことは知恵と感性、そして状況判断。その全てをフルに活用して、今、自分の周りにいてくれる人とのコミュニケーションを図っているのです。そのために、時に人はどうでもよいような言葉を発したりもする。その先にある、コミュニケーションというものに踏み込むため。忙しい人ほどコミュニケーションを大切にする。自分は常々そのように思っています。

そう、コミュミケーションとは、究極の娯楽であり、赤子の時の自分を思い出させてくれるものなのではないでしょうか。手探りの状態から漠然とした、それでいて何かを手繰り寄せる。そのような感覚を常に欲しているのだと思います。自分がコミュニケーションを欲していない時はおそらく、日常にしっかりと参加をしていないから。コミュニケーションという物差しから、今の自分の状態を探ってみるのはいかがでしょうか?