休日との付き合いかた

自分にとっての休日は社会とは全くの無関係。今日も街では多くの人が働いています。今働いている人にも当然休息日があるとは思いますが、ちょっとした罪悪感を感じてしまうのは何故だろう。

そんな罪悪感を拭うために、今日という日を何に費やすかがポイントになってくるのかと思い、漠然と一日の流れを汲んで見ました。読書をする。カフェでいつもよりちょっと高価な飲み物を注文する。ノンビリと街散策をする。・・・何も社会の役に立っていない。そもそも、自分のやっていることが社会に役立っているとは思いませんが、そんなことで気を紛らわすことしか知らない自分。

読書を楽しんで、家で夕食を取りながらテレビを観る。野球中継が去年と一寸狂わず放映されている。心のモヤモヤは解決されない。では、どうすれば解決されるのだろうか。

考えてみた結果、休息日に見合うだけの働きを、日常の中で行なっていないということなのではないか、という結論に。日常が全力でなければ休日も全力で休むことが出来ない。資格を与えられた気になれないから。休息日を充実させるためにも、「日常の日々をもっと懸命に生きよう!」そう決意した一日でした。