忘れることが出来ない

人が持つ素晴らしい能力の一つに、「忘れる」という機能があります。これは全てをリセットし、新たな気分で何かを始めることが出来るということ。それはとても大切なことで、自分が自然の一部であることを実感させてくれたりもします。

しかし、世の中には忘れることの出来ないこともあるようです。それは、あまりにも衝撃的なことと直面した時かもしれませんし、そのような能力を兼ね備えている人もいます。僕はそのような能力がありませんので、衝撃的なことと直面した時のことを思い浮かべてみることにしました。
 確かに、物事を忘れたくても忘れられない時があります。しかし、それは常に形が変化していき、その事実に対する思いも少しずつ輪郭が曲がっていきます。つまり、完全には覚えていないということかもしれないし、自分の変化をそこに見ることが出来るのかもしれない。

輪郭が曲がっていくことに少し物足りなさを感じてしまったりもします。そこへの思いの純度が薄れていくようで。思いにも確実に生命があり、そこには必ず死が存在する。美しく死んでいこうとする思い。夕暮れと庭、そこにある椅子。そんなイメージが頭の中に浮かび上がり、僕はまだ出会ったことのない、老人姿の自分をそこに見出そうとします。死んだ思いはドコにいくのだろうか。

自然とはそのように、心までもが流れていく工程。無の境地に辿り着ける人がいるならば、その人はもはや自然というものを拒否したとでもいうべきではないでしょうか。そして、忘れるという能力を欠如して生まれてきた人は、そのバランスをどのように保っているのだろう。そんなことが頭の中を駆け巡っています。