空気の重さ

空気は時に、物凄い重さを持つものです。頭の先から徐々に重い空気が垂れ込み始め、首、肩、腰にドスンときます。「この腰の重さが、女性の生理前みたいな感じなのかなぁ〜」とか、どうでもいいことが頭の中を駆け巡って見たり。辺りを見回すと、皆、同じ重さを共有している様子。そう、重い空気はしっかりと伝染している。その発信源はドコなのか。

発信源を掴むために、周囲の人の会話などから情報をキャッチします。すると・・・、そう、発信源は今ここには居ない、その空間とは無縁の人物像が浮かび上がってきたのです。人の想像力と影響力の強さを思い、そこに変な感動を覚えたりしました。何故、空間とは関係のない人のことで空気を重くすることが可能なのか。何故、発信者はその空間に存在しないのに、空気の重さを操ることが出来るのか。

恨みというほど重いものでもない、むしろ軽い位の感情が、その場の空気を非常に重くする。その重さはきっと、軽い感情を吐き出した人の想像力が加わっている。世の中には軽い感情を簡単に吐き出せる人と、軽い感情を溜め込んで、重い空気として吐き出す人の二種類がいる。今、この空間の主導権を握っている人物はおそらく後者の人なのだろう。そしてここに一つの問題が生じる。この主導権を握っている人物、実はその重い空気を打破する想像力は兼ね備えていない。当然といえば当然のことだ。兼ね備えていればここまで空気は重くない。

では、この重い空気はどのように消え去ってくれるのだろうか。再び観察を続けていると、花を咲かせることの出来る人物がいることに気が付いた。その花を咲かせる魅力は、重い空気が生まれた想像力よりも勢いがある。結局、光が闇に勝つ。この方程式がここでも生かされている。周囲の人々を見ても、そこには春夏秋冬がある。そんなことを思った一日でした。