過去に怯える

過去に怯える人がいます。そういう自分も過去に怯えたりもします。トラウマとでも言いましょうか。過去に同じような現象に直面、或いはその過去に近づいていると察知した時、本能が怯え始めます。

人間関係の怯えは本当におかしなことです。今の怯えとなっている対象の人は、怯えの種を植え付けた人とは違うのに。その怯えがどうしても拭えずに、気づくと対象者に悲しい思いをさせていたりもする。そうすることで、自身のプライドのような不可解なものに救いの手を差し伸べる。

対象者を悲しませることによって、自分は怯えを克服したのだという錯覚に陥りそうになる。情けない気持ちがその克服に、晴れない気分を添えている。結局のところ、自分は何も克服してはいないのだから。

そう、怯えを受け入れるには、全てを信じるということが必要不可欠なのです。対象者、そして自分自身を。自分が悲しみたくないから対象者を悲しませるのではなく、対象者が嬉しそうで自分も嬉しい。そのような関係作りを目指した方が、きっと何倍も楽しい。

バイト先の店長を見ていたら、ふと、そんなことを感じました。抽象的な表現しか出来ないですみません。人の振り見て我が振り治そうと思います。