流れているもの

時々こう思うことがあります。「俺の根底に流れているものって何だろう」と。それは自分の中にある二面性を感じた瞬間に問題として頭の中に浮かんできます。現実を上手く生きていない時に感じます。根底に流れているものとは一体。。

そもそも、根底に流れているものがあるのかとも思います。意識という世界に住んでいる自分と面会を試みます。コーヒーを飲み、どこにも定まらない視線を遊ばせながら。

やはり何かが流れているようです。そう、言葉にしたら陳腐になってしまいそうな何かが。何故そのように感じるか。それは自分の周りの人達が浮かんできて、意識の中の自分との面会に加わって、さり気ない言葉を投げかけてくれるからです。その人たちの根底を垣間見させてくれるような言葉を。

そう、自分の根底に流れているものは、周囲の人たちから受けた強い衝動だと分かります。衝動に反応した意識が、時に制御出来なくなるほど色濃く現れてくるのです。そしてその時に、自分の立ち位置を再確認出来たりします。そんな衝動を与えてくれる周囲の人たちに、改めて感謝をしたいと思います。