水〜その透明な冷たさ〜

 近頃、「水」というものの凄さに驚かされる。水には他の水分では味わうことの出来ない感覚を備えている。それは喉を入り口とした、自身ですら上手く把握出来ていない体内を瞬時に駆け巡る侵食力。心臓に確かな潤いの余韻を残し、水が全ての迷宮を通り過ぎた後でようやく、この状態を認識することが出来る。その速度と認識の関係は流れ星を見た時の感覚に近い。

 水は自身よりも体内について博学であり、認識は一人取り残される。

 この見えないところでのレースに対する反応が鈍くなれば、おそらく溺死してしまうのだろう。水は透明で、とても冷たい。

 その透明な中に潜む加速力と、冷たさの中にある恐怖。それを少量ずつ体内に取り込むことでどうにか、潤いを感じる程度で止めることが出来ている。体内を駆け巡っている間、水は完全に、自身の感覚を翻弄している。

 自分にとって水とは一体、味方なのか敵なのか。

 改めて、水というものに対し畏敬の念を感じずにはいられない。

我慢=安泰?

 基本的に我慢というものが嫌いだ。我慢することは待ち望む、期待を抱くこととは違う部類に属している。我慢という負の感情から生まれる未来なんてたかが知れているものだ。そういうことを、子供の頃から漠然とだが感じていた。

 その漠然とした感じを今になって思い出す。そう、自分が我慢という負の感情にどっぷりと浸かってから。社会の中に何かしらの安息を求める時、その代償は自身への負だという事実。そんな悲しいサイクルの輪に入ってしまうのは、同時に真実を探すことへの追求を止めてしまうこと。

 それは違う。自身を無視した現実なんて、夢の世界よりも最低だ。

 だから、真実を見よう。なりたい姿を思い描き、実行する。

 一日は、そういうところから作っていきたい。

ロマンに対する走り方

 人は意外とタフなもので、何かに疲れを感じるとそれを乗り越えるための策を考える。目標に向け、人生を逆算してみる。何をいつまでにやるかが具体的な数値となって現れ、それと同時に、その目標に向け、とりあえず前進していこうという意欲が湧いてくる。

 大切なものを守る。それは時間だったり、他者だったり、自己だったり。その意識が起動し始めた瞬間、自身に何かしらの使命が生まれる。人はそんな、使命という名のロマンに突き動かされる。

 今置かれている状況を客観的に観察することで生まれる意識。その意識に対する具体的な提案が出来れば、人生なんて驚くほど単純なものだ。

 ゴールを設定する。一人で長距離を走るというよりは、自身を4分割位に分け、リレーをするような感覚でゴールを目指す。一つのリレーを走りきったとき、新たな競技場が現れるだろう。人生は常にリレーの繰り返しだ。

 バトンに託した想いを忘れずに、スタートラインを越える。

詩的好奇心

 どんな時にも言葉を失わないこと。それって本当に凄いことだと思う。言葉を発するにはエネルギーと想像力が必要とされる。どんなにくだらないことであれ、それはその時の状況、人との関係を瞬時に割り出した上で発せられるものだ。

 その場にどんな言葉が必要なのか。そんなことは考えなくても良いのかもしれない。しかし形のないものである以上、言葉を発したという事実は取り返すことが出来ないわけで、それに対する責任だけは感じていたい。

 言葉が必要とされる時、それはその人が詩人になりたい時だ。状況によって、人は詩人になることを要求される。圧倒的なものを前にした時、踏み越えたい一線が引かれている時、そんな状況を前にして、人は詩人となることを選択する。詩人の奏でる言葉を前に、受け止める側も詩人としての心構えを用意する。そう、手紙が唯一の手段だった貴族たちのように。

 どんな状況も逃さないために、常に詩人であること。そんな詩人同士のやり取りを行なうために、詩的な日々を想像する。詩的な日々にはおそらく自然な、そして様々な音が発せられているに違いない。

贅沢な時間に

 平日のおやつ時という贅沢な時間に喫茶店へ入る。店内は意外と混雑していて、年齢層も、これまた意外なことに20代の若者が8割を占めている。その様子からいくと、どうやら試験勉強に取り組んでいるらしい。皆同じような集団に見えて、実は幾つかのグループに分かれている。個人のため、来年度以降も同じグループを保ち、そのグループの一個人となるために集団で取り組む姿は、見ていて何だか微笑ましい。生き物で在る所以が垣間見える。

 そんな中で一人、読書に耽る。自分と周りの集団が、人としての適切なサイクルを形成している。自分としては、このサイクルを行き来するのが心地良い。

 しかし考えてみれば、読書も筆者との対話であり、自分は筆者を喫茶店へデートに誘ったことと同義である。ならば、自分もまた、誰かと連れ添ってこの空間を満喫しているのだと気づく。

 良き本は、良き師匠であり、良き親友だ。利害関係のない仲。そんな幼少期と同じ関係でいられる。会いたくなったら会う。帰りたいときに別れる。それが成立する関係。

 リズミカルに頭を切り替えながら、本との対話を終える。未来予想図を描いて家に帰る。先ずは一つ、描いたものに取り組んでみる。

 日々の充実はミルクレープのように、何層もキレイな層を重ねていくこと。

 層の美しさを求めて、明日も美味しそうな人生を描く。

曇りのち晴れ

久しぶりに家の中を整理してみる。2年位前に書き溜めておいた文章の数々と遭遇。今、改めて読み直してみると、言葉の意図するものよりも先に、前のめりな姿勢が飛び込んできた。ここ最近、覚えていたようで忘れていた感覚。

 頑張ることよりも先に、自信を持つこと。

 ビジョンは自信が生み出す一つの原型であり、後はそれを組み立てる作業を行なえば良いのだということ。そんな簡単な原理を思い出した。

 スパッと切り込める、そんな自信を描く。細いがしっかりと整備された道が見えてくる。キッカケに盲目であってはならない。自身を見つめることに盲目であってはならない。盲目は、自信を奪い取る。

 全てを見ようと思う眼。澄んだレンズに映し出される景色を噛み締めて、現実という名のキャンバスにピントを合わせる。

シンプル イズ ベスト

 シンプルであり続けること。言い換えると、自然体であること。それはとても大切なことで、自身にとって一番の解決策となる。選択に迫られた時は、シンプルな気持ちに従って道を決めれば良い。その道は、自身も含めた全ての人にとって幸せなことだと思うから。

 複雑にすることに力を注ぐのは止めにして、素直な道を歩くこと。

 その跡には純粋な意欲と価値が生まれる。明日が早く見たくなる。

 そんな刺激を与えてくれる友に感謝したい。

 押し出す強さを信じて、明日へのバトンを渡す。